厭世

 私のお母さんは生まれつき脚が悪くて手術すれば治るんだけどそんなお金ないし、毎朝『脚が痛い仕事行けるのかな』って泣いてたし、出産時に右半身に軽度の脳性麻痺を負うことになったうえに癲癇もちの私よりひとつ年上のお兄ちゃんと乳飲み子の私をかかえてギャンブルで借金だらけのお父さんと離婚したはいいけど結局離婚後もお父さんの借金払ってたし、昼の仕事が終わって6時くらいに家に帰ってきて私たちの晩御飯を作ったあと夜中までスナックで働いて帰って来ては『脚が痛い脚が痛い』って泣いてたし、スナックで知り合った妻子もちの男の人とながいこと付き合ってその男の人はいっときウチにいたこともあったけど結局お母さんのお金持って妻子んとこ帰っちゃうし、お母さんは脚の痛さと男の人への未練と仕事先でセクハラうけたとかで毎晩たくさんお酒飲んで『びっこの女だからって馬鹿にしやがって』と私たちにあたりちらすようになるし。
 小学校高学年になったお兄ちゃんは何度も癲癇の発作をおこして救急車で運ばれるし、毎日壮絶ないじめを受けてたのは知ってたから発作はそのせいなのかもしれないし、しまいにゃ『からだは思うように動かないし馬鹿にされるしいじめられるしブ男だし』と言い出して暴れて手に負えなくなって精神病院に入院しちゃうし。
 お兄ちゃんが入院してからお母さんは都会育ちの私を福島県に1年間山村留学とかゆうものをさせようとしてお母さんはあらたに知り合った男の人と一緒にドイツに行って暮らすのだと言って『1年後にはむかえにくるからお前たちも一緒にドイツで暮らそう』と嬉しそうにしてたのだけど私が福島に行く一週間前に発熱と腹痛で入院してしまってその後も何度も私は入退院を繰り返すからお母さんが思い描いてたハッピーなことは全部ダメになっちゃうし。
 何かのせいにしても不毛なだけだからしないことにしてるけど、お母さんもお兄ちゃんも毎日毎日こんなに生きるのはつらくて悲しいのにどうして生きてるんだろうと不思議だったし、死んでないから生きてるなんてアホみたいな言葉じゃ片付かなくて『なんで生きてるんだ?』っていまだに疑問だらけだけど、『生きる意味』なんてどこにも無いことくらいわかってたし、『死ぬ意味』ももちろんどこにも見当たらないし、そうやって一生を終えるのかなぁとずっと思って30年過ぎちゃったよ。