月
二日酔いだったからラーメン食ったあとに本屋で荒木経惟の写真集を見て便所に駆け込んでラーメンもどしたので爽快ーーーーーー
ラーメンも荒木経惟も嫌いで気持ち悪い。二日酔いで気持ち悪いときは二日酔いよりももっと気持ち悪いことするか酒飲めば調子がよくなる。
−−−−−−とはいっても写真の女の顔の残像が浮かんでは胃液がこみ上げるからやっぱり酒飲んで落ち着くことにする。
好きとか嫌いとか、よくもまあ偉そうに堂々といろんな人に考えなしにフワフワとしゃべれるよなぁ自分〜
私が好きなあの人は私のことが好きだと直接でも間接でも知りようものならうれしくてワクワクしてこの世のあらゆるものが自分のためにあるようで、私をとりまくすべてがキラキラキラとまぶしく輝くけれども、私が好きなあの人は私のことが嫌いだと直接でも間接でも知りようものならこの世の終わりとばかりに思いつめるのに。
先日、ある奇特な方に「ずっと好きでした」と言われた。
予想だにしなかった私は居心地悪くて「は?なに言ってんの?」と言った。
「あ、いえ、なんか、言いたくなっただけです」
なので私は流した。ちょっとイラっとした。
自分にとってそういう対象では無い相手に直接(人づてにも)そういうことを言われると、なぜかイラついてしまう。私は一度たりともそんなこと思ったこともなければ、彼に会っていないときに彼を思い出したこともないし、私は彼のことを絶対に好きになることはない。彼だって、私がこれを夫に話して彼をネタに笑うような人間だと知っていそうなものを。
もしこれが逆の立場だったら、私はその場で自殺しかねないよな、とも思うのだが。不思議だな。いろいろ。悲しいな。
ある真冬の午前零時酔っ払いの帰り道、空を見上げたら、輪郭のぼやけた大きな月があった。この月を、あの人も見ているのだろうか。そう思って「月がへんですな」だったか、そんなメールを送った。すぐに「雲のかかり具合が絶妙ですね」だったか、そんなメールが届いた。
私が見ている月には雲がかかっていない。月の周りに雲もない。あの人には見えている雲が月が、私には見えていない。そんなに遠くはないおなじ東京の空の下、同じものを見てるはずなのに、違う。あの人はどんな月を見ているのだろう?
とても寂しい気持ちになったが、みんなみんな、見てるものが、見えてるものが、見ようとするものが、違う。あまり大差ないように思うから、いろいろ錯覚してしまう。同じところから、同じものを、同じように見たいと願ってしまう。
悲しい。