庶民の発見

 宮本常一の「庶民の発見」が面白かった。フィールドワークの感想でしかなくて、これって民俗「学」と呼べるのかしら?という印象。エッセイみたいなかんじ。
 ごくごく最近まで、日本の農村漁村の生活は、大昔から変わらずにいた。農村漁村はほぼ日本全国どこも変わらず徹底的に貧しく逃げ場のない労働三昧。しかし、皆、生きるのに必死だった。なんとかして生きていた。ラジオやテレビの普及により、日本全国がひとつの価値観になってしまった。ま、それは時代が求めたものだし、当然の流れだからとやかく言うつもりもないけれど。フリーセックス大国日本の独自の文化の夜這いだとか、極貧の労働三昧で快楽は肉体のみって、なんてシンプルライフ。それもラジオやテレビの普及で風習としてはなくなってしまったわけですが。ま、身体は一番の遊び道具だとはいまも思います。(メンタルな時代なのが厄介だけどさ〜)
 大不況と言われる現在、なんとしてでも生きのびてやろうって逞しさはどこにも見当たらない。悲観的で蟹工船的じゃなきゃだめなんすかね?でも、企業も存続の危機なわけだし、派遣社員の保障うんぬん言ったって、企業だって潰れるわけにいかない。資本主義ってそういうもんじゃないの?国に保障を求めたところで現状で何ができる?どっかによっかかったところでどこにも保障なんかないんだから、さてさて自分、どう生きてこうか?って、自分の頭で考える逞しさが必要なのかもね。「搾取」とか「使い捨て」とか言っちゃってる人をみるととてもげんなりするんですよ、私。いやあね、いろいろ酷いと思ってはいるのですよ。後期高齢者制度だって、私は「払ってあたりまえ」みたいなこと言ってますけど、本当のところは「間違っている」と思うことのほうが多い。世の中いろいろたいへんなことになってるって思うし、本当は、保障などちゃんとあって欲しいと思う。だけどそれを国にいま求めたところで破綻している。その破綻は、いまの政治ではじまったわけではなく、長い時間かけて着々と破綻へ向かって行っただけ。こうなることに気付いてた人のほうが多いんじゃないの?それにいまが特別悪い時代なわけじゃ無い。
 逞しく生きることができる人と生きていけない人との差をどうすりゃいいんだって私に言わないで。私、他人のことなんて知ったこっちゃないもんね。