夜の帷

 ワイドショーを見ていて、なんとも身につまされる思いになった樋渡です。
 人が混乱している様をテレビで流す悪趣味を見ている自分もどうかしてると思ってしまうし、彼女をどうこう言ってる人も変だし、報道の人たちも、会見に集まらなければいいのにと思う。とほほである。
 近頃、よく悩んでるように思う。10代20代もとても悩んでいたように思うけど、30代の悩みって、もっとグロテスクになっているような。あえて30代とか言わなくてもいいのだろうな。いま、とにかく悩んでいるのだ。少しづつ、ガチガチなところが抜けてきて、ラクになれるのかと思いきや、ちっともである。よりガチガチに悩んでいるように思う。それは私にとって10代20代のときの悩みとは違うかたちだということだろう。これからもっとグロテスクになっていくのだろうか。怖いな。
 飼っている鈴虫の生き様を見ていると、子孫をつなぐためだけに生きている。受精が済むと、メスはオスを食べてしまった。近頃泣かないなーと思ったら、オスはメスに食われて全滅していた。そしてメスは産卵が終わると死ぬのだ。
 昆虫の性交、産卵はよほど気持ちいいのだろうか。でなければこんな生き方・・というのは人間のきみょうなまでのセンチメンタルにすぎないけれど、いっそいいよな、とも思ってしまう。ただ、子孫をつなぐために生きるなんて。
 人生の目的だとか意味だとか、頭で考えてしまうと大変すぎる。人間はなんて不完全な生き物なんだろうと、ときどき猛烈に悲しくなる。自分はどう生きていかなきゃいけないんだろうなんて、悩むのは大変だ。だけど常に悩むしかないし、皆、悩んでいる。100年後にはいま生きてるまわりの人誰も生きていない。「私」が生きていたなどと記憶を持つ人も皆死に、いずれ誰もいなくなる。いま生きるしかないと思う。
 だけれども、いま生きるってどういうことなのだ?何も思うようにならないし、うまくいかない。悩むしかないのもいまの私である。
 人はひとりでは生きられない。関係と共存が、生きてる実感につながると思う。だけれども、関係が、共存がまったくうまくいかないように思う。うまくいくことなんて、誰にもないようにも思う。だけど、絶望するわけにはいかないと思う。なぜだろうな。