映画をしたことがある

 電話になかなか出ないと評判の樋渡です。
 電話って、てっとり早いけど、出たくないときは出たくないんもんですのよ、気付いても。メールも面倒なときがある。誰でもみんなそうだと思っていいもんだと思っていたのだが、そうでない人もいるみたいね。電話もメールも、自分勝手なもんよね。それでいいと思うけど。
 恋人の電話だけにはどんなときでも必ず出るのはあたりまえですけどね!あは。
 しかし、昨日は思い立って、数日前に電話をくれていた友人にかけてみた。出ない。携帯画面を見てみたら、見たこともない番号にかけていて慌てて切った。
 はて。着信履歴からかけたのだが。
 友人の名前の前に、知らぬ番号の着歴があった。
 うっかりそちらにかけてしまったもよう。
 誰だ?と一瞬思った。私はもう会うことはないだろうと思う人の番号やらメアドは削除するので、ひょっとしたら知り合いとかなのかなぁなどと想像してみたりしたが(リーマンブラ○ーズのブチとか、ゆきずり系とか)、ま、なにはともあれ知らない番号ってことは、知らない人ってことなのだろうと思った。しかし、知らない人ってのは気になる存在である。
 

 



 「生きてるだけでいい」という歌詞を耳にすると、どこか違和感をおぼえてしまう。もう会うことはないと思うかつての友人やら恋人が、生きてても死んでてもどちらでもよかったりする。死んだと人づてに聞いても、ああ、死んだんだぁ、としみじみ思ったりする。その人の記憶が胸を圧迫することはあっても、死んだことそのものにあまり悲しみをおぼえなかったりする。
 実感が乏しいということなのだろうか・・・日常から離れてしまうと・・・。
 お父さんが死んだと聞かされたときも悲しくなかったし、涙も出なかった。というと、非情な人と思われがちですが、そういうことでもないと思う。お父さんとは3歳のときから一度も会ったことがなかったし、お父さんの葬式には出なかったし(事後報告だったもんで)、法事も一度も出たことがなく、墓参りもしなかったが、とくにそれについては何も思わなかった。ただ、残してくれた保険金を1年で遊んで使ってしまった(酒とかパチンコとか買い物とか)ことへの罪悪感が強くあった。
 死後3年経って、お父さんが死に場所をさがして最後の数日間さまよったであろう埼玉から遺体発見現場の仙台の作並街道沿いのラーメン屋の駐車場までの道のりを、1人車で辿ってみた。そしてそのまま山形へ行き、墓参りもした。そのときはなぜだかわからなかったけど、息苦しくなって涙が止まらなかった。なので何度も自損事故を起こした(高校の先輩の車だったのだが)。そのときはじめて、お父さんは生きていた人だったのだという実感が、私の中におきた。死んだことではなくて、お父さんは生きていたということがはじめて私の中で浮かび上がってきた気がした。
 父親だから、とか、申し訳ない、とか、そういう気持ちなど何もなくて、ただ、1人の人間が、生きて、死んだんだな、と思った。
 今月、お父さんの13回忌がある。はず。もうそんなに経つんだなぁ。毎年気が付くと12月になっていて、命日をスルーしてしまっていた。というか、正確に命日をおぼえていなかった。あいちゃんに語呂でおぼえるといいと言われおぼえた。おぼえやすい語呂だった。
 11月19日(イイ、イク)
 牛越君が死んだら、長いこと立ち直れないんじゃないかなと思う。10年以上一緒に暮らしてきたから、日常が一変することになかなか追いつけないように思う。取り乱すのは、人の生き死によって、あたりまえの日常が、あたりまえの日常ではなくなるときなのかなぁと思ったりする。