幸福

 ドラマ「銭ゲバ」を見ていてずっと感じた違和感。お母さんの愛情を一身に受けて幸せな時間を過ごしたことがある人間が金のためだけに人殺しなんかするのかな?金やら世の中に恨みを持ったとしても、関係ないヒト殺すかね?うーん。優しいお母さんにちゃんと愛された記憶があって幸福で温かい時間を知ってる人間はどんなに世の中間違ってることがあっても根っこの部分で人への思いやりなどが残っていて、そこは揺るがないんじゃないかなぁ。万一人殺しをしたとしても、後悔やらなにやら複雑な心境に陥るような気がするけど。私ってなんだかんだ言って甘いのかしら。よく言われるけど。ドラマの松ケンだとただの人格障害というか。だって、最初の殺人から時間が経ちすぎている。ま、原作漫画も私には面白いものではなかったからなあ。どうでもいっか。
 カムイ伝とかいま流行んないのかな〜。カムイ伝のいいところは、本物の「心優しく正しい人」を踏みにじってつぶすのは、最終的に愚かな大衆というものであるということをあらわにしたところですね。正助、大好きすぎるキャラクター。自分に子供ができることがあって、男の子だったら絶対正助ってつける。ひどい死に方しそうだけど。


 話はかわりますが、不幸な人っていつも体調悪くてなにかしら誰かを恨んで誰かにひたすらよっかかって生きてるのだけど、やっぱり幼少期からずっと不幸なのだろう。不幸な人というのは自分が不幸だと思ってるわけで。そりゃ不幸に違いない。不幸な人ってかわいそうだな・・と同情することはあっても、不幸な人というのはほかにエネルギーの持って行き場がないのか他人も不幸にしようとするのかな?一緒にいると不幸になりそうなのであまり係わらないようにしたほうがいい。私は幸福な人が好き。
 それを考えると私はやっぱり幸福に生きてきたなと思う。自我が芽生える以前に誘拐されたりとか、家がなくて野宿とか。お金が無くて若すぎて、犯罪といえるものに手を染めたこともあるが。えばれないけど。挫折の認識がないまま挫折してたのかな。いま思えばラッキーだったぜ。