エキサイティング・フェスティバル1

週末、奥多摩のN山邸へ行って来ました。
どういう集まりなのかさっぱり見当つかず、誘ってくれたT氏にメールで質問しても返信が来なかったので、とりあえず荻窪で待ち合わせていたので快速ホームで待っていると、すぐうしろで人身事故が起きた。携帯を持った何人かが、人を轢いた先頭車両を撮影していた。
快速電車は当分動く見込みがなかったので、各駅ホームに移動して、T氏やO原さんたちと落ち合うと、口々に「まみちゃんが線路に飛び込んだと思ったよ、悩み多そうだしとびこみそうじゃん!」と笑われた。
奥多摩のN山邸は山奥で、みなさん登山のいでたちに大荷物で、宿泊するとのこと。聞いてないし、私はどうすりゃいいんだと悩む。
途中、立川でN野さんと落ち合う。周囲の白い目などなんのその、電車の中で子供の遠足なみにはしゃぐ我々。T氏が「じじぃのスタンドバイミーが撮れるよまみちゃん」と言った。そう言われて昔みたスタンドバイミーを思い出す。血を吸ったヒルが死ぬメンツだなと思った。列車を避けきれずに線路で全員轢死の画が浮かんだ。
奥多摩に着いたら、N山さんの車と埼玉からやってきたY子さんの車がお出迎え。Y子さん、8年ぶりくらいだった。元気そうに見えた。
N山邸は、軽装では不安になるような山奥だった。奥多摩駅からかなり長い山道を登った山の中腹の小さな集落にあった。30年前に道路が作られたらしい。現代の感覚でいうと、昔の人はなんでこんなところに家を建てたのだろう、道もなかったろうに大変だなぁ、と不思議に思ってしまうのだが、そこで宮本常一の本に書いてあったことを思い出す。現代人の感覚でいう「こんなところ」、都会を除いた日本全国ほとんどすべてが現代人にとって「こんなところ」なわけですよ。かつてそこには過酷な労働という日常があった。昔の農村漁村の日本人は皆貧しく、現代で言う「ゆとり」、つまり自分のための時間など誰にもなく、日々労働に明け暮れるしかなかった。しかし生活のためだけに働くという感覚だけではなく、皆誇りを持って労働していたのだという。過酷な労働が「生活のため」それだけだったら、たしかに生きぬくことは難しいかもしれないよなと思う。
その後ラジオやテレビの普及によって、よそはもっと裕福だとかなんだとか、容易く他と比べることができるようになり、日本全国の道徳観やら生活観が平均化していくというわけですが。
「なぜ昔の人はこんなところに家を建てたのだろう?」と思うことじたい「いかにラクに生きるか」もしくは「労働は生活のためだけ」という感覚が現代では定着しているということなのかな。受身でしかない人は「誇りを持てる仕事が無い」という。その感覚がそこらに蔓延している時代というのも、それはそれで非常に過酷な気がする。しかし人は皆、形はどうであれ、誇りがなきゃ生きていけないか。
話は戻るが築100年の古民家を200万円で購入して1年以上前から自身の手で改修しているN山邸。まだ玄関やキッチンなどが出来ていなくてそこは壁もない状態なのだが、囲炉裏やら露天の五右衛門風呂やら作られていて、いろいろと楽しい妄想が浮かんでしまう素敵な家だった。詳しくは「田舎暮らしの本」という月刊誌に連載中。N山さんはライターの中山茂大さん。
トイレはその日の前日に完成したそうで、ウォシュレットつきの水洗でとても清潔でありがたかった。
3時くらいに着いて、さっそく宴会。全員酒を飲みはじめたので、こりゃ日帰りは無理だわーと、泊まる覚悟を決める。
N野さんが何度も風呂に入り酒を飲んでいたので、死んでしまうんじゃないかと思った。それにしてもバーベキューやらダッチオーブンで焼かれた野菜やら肉やら魚やら、何もかもがすばらしくおいしかった。

つづく。