無題

福島の非難区域からはずれたところに住む子供たちの年間被爆量を20ミリシーベルトに引き上げた問題について、これは非常に深刻だと思っていた。テレビでそのことについてやってた。非難区域からはずされた原発近くの住民が、公園で幼い子供たちを遊ばせていて、インタビューすると若い両親は「家の中でストレス溜めるよりは外で遊ばせたほうがいいと思って。専門家の人たちも大丈夫だっていってたし」と、言ってた。
しかし、専門家たちは「年間20ミリシーベルト、子供が被ばくしてもいまのところ大丈夫だけれど、安全だとは言えない。何が起こるか想定できない境界線が年間20ミリシーベルトだということだ。でも境界線だというだけですぐに避難しろとはいえない。ものすごい数の人がどこへ避難できるというんだ」と言ってた。大丈夫と安全って、まったく意味が違うだなんて初めてしった。大丈夫だなんていい加減なこと言わないでほしいと思ってしまう。もともと使われ方が厭味なニュアンスを含んだ言葉だと思っていた。大丈夫を多用する人間は信用しちゃいけない。国や専門家の発する言葉にたいする認識はそれぞれなのだが、ようは、国としては、自主非難したいならすればいいってことでしょう。子供の未来を、それぞれ個々の親の判断だけに任せるのは親、子供、どちらにとっても酷だなぁとおもった。とにかくいま、大変なことになってるのは事実だ。放射能も、東京の人はもう慣れちゃったようだけど、自分のこととかもどうでもいいけど、放射能の数値が高いところにいる子供たちをこのまま被ばくさせてたらとってもまずいよな、と思う。国の基準なんて、信用できたものじゃないのだから。